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小椋郁乃の旅のエッセイ

<タイトル>

・【ウィーン国立歌劇場<オペラ座>の舞踏会オーパンバルは、夢のような夜だった】

小椋郁乃の旅のエッセイ〜旅の楽しさをお伝えしたい!〜

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ウィーン旅行記 クリスマスと舞踏会
(日本旅行作家協会 女性の旅研究会のページへリンクします)

ウィーン国立歌劇場<オペラ座>の舞踏会オーパンバルは、
夢のような夜だった

 一年に一度だけ開催される、オーストリアの国家行事の一つでもあるオーパンバルは、ハインツ・フィッシャー大統領主催で一月三十一日の夜10時より開催された。ドアーオープンが夜9時。その日は夕刻より、路面電車が止まり、道路は厳重な交通規制がなされ、オペラ座周辺は、オーパンバルのチケットを持っている人の自動車と二頭立ての馬車しか進入でなくなる。各所に警察官が配備され、さながらウィーンの中心部は厳戒体制のようだった。

小椋郁乃

 国家の威信を掛けて守られている、オペラ座入り口は、華やかで平和そのもの。赤い絨毯が敷きつめられ、両脇を報道陣が陣取り、有名人が通る度にフラッシュの嵐となる。オーストリアの政財界、芸術家等のVIPは勿論のこと、ヨーロッパのロイヤルファミリーや要人やスター達、小澤征二さんもいらっしゃっていた。私たちもそのライトの中を通ってオペラ座に入った。

 客席を取り払い、オーケストラピットを平坦にして、薔薇の花をふんだんに飾り、むせ返るような薔薇の香りと、絵に描いたような優雅な紳士淑女の華やかさに、夢まぼろしの世界にいるような錯覚さえした。

 オーパンバルのドレスコードは、男性は燕尾服(タキシードでは入場できない)。女性はイブニングドレスで、スカートは足が隠れること。軍服と民族衣装は禁止。永世中立国のオーストリア国家と主催者の大統領に敬意を表し、集まった全ての人がウィナーワルツにふさわしい優雅な正装をしていた。映画のワンシーンを観るようだった。

 全員起立で「オーストリア国歌」を聴き、欧州統合の曲とされる「第九」の演奏、いくつかのプログラムの後、いよいよデビュタントの入場で、オーパンバルのセレモニーのハイライトとなる。オーパンバルの主役は、将来の国家を担う、若きデビュタントたちである。

 私は四階の席からセレモニーを観ていた。この席はデビュタントの親戚や友人が多いらしく、お目当ての人を見つけては、無我夢中でビデオを回す人、カメラで撮りまくる人、顔を寄せ合って話しに花が咲く人たちで、賑やかだった。デビュタントの親は一階の最前列でわが子を見守るが、大統領がいらっしゃるロイヤルボックスの上のこの席は、親しい方にはベストポジションのようだ。

 日本の成人式は本人だけの参加だが、多くの人にお披露目して観てもらうのは、すばらしいと思った。デビュタントの名簿は発表され日本から3名の参加だったが、翌日の国営テレビの<オーパンバル特集番組>によると日本人3名のうち2名は天候不良のため、飛行機が飛ばず1名のみの参加だったそうだ。

 この時期ウィーンでは舞踏会は大小合わせて三百近くあるが、オーパンバルのデビュタントは最高峰と言われている。審査も一番厳しい。26歳までの独身なら国籍を問わず、男女を問わず、誰でも審査に応募することができる(詳しく知りたい方は、別途ご説明しますので、ご連絡ください)

 白いドレスの女性たちは初々しくて美人ぞろい。男性はどこぞの国のプリンスかと思うような貴公子然としている。

 デビュタントは男女のカップルで参加するのだが、一般的には二、三年前から母親同士で話し合って決める。親が、「好きな子いるの?」と聞くとその時は「別に」だったのに本番近くになって、彼女や彼氏が出来て、自分の好きな子とデビュタントに出たいと言い出し、もめるケースが毎年一組か二組は必ずあるそうだ。パートナーが突然離脱したデビュタントの新たなるパートナー探しで、事務局は四苦八苦するらしい。

 人生において一度しか出られないオーパンバルのデビュタントなので、確かに好きな人が出来れば、その人と出たいと、言い張る気持ちもわからないでもない。そのようなことを避けるために女性に、パートナーを26才までの兄か弟にすることを事務局では勧めている。

スワロフスキー社製ティアラ

 女性のティアラは毎年デザインが違って、オーストリアが誇るスワロフスキー社が製作する。今年のデザインはいつになく、シャープなデザインだった。ティアラは参加者が支払う経費のなかに含まれているが、今年は75ユーロ(約1万2千円)。ウィーンの相場からいったら高いと言っていた。買えるものなら私も欲しいくらいだ。娘でもいたら、親の私の方が熱狂しそな気がする。

 デビュタントのワルツ披露が終わって、合図とともに、参加者が一斉に踊り始める。四階から見ていると、デビュタントの列が崩れ周りの大人たちが加わり、オペラ座のフロアが見えない程の超満員状態で、ワルツを踊る。よく踊れるなと関心した。真夜中の12時のカドリールが終わると、オペラ座の各部屋で踊り始める人が多くなる。メイン会場が少し隙始め、午前2時のカドリールが終わる頃は帰る人も出てくるので、これからが、踊りたい人たちの本番となる。

 おとぎ話のシンデレラ姫は12時の鐘が鳴る前に、舞踏会のお城から抜け出さなければならなかった。急いでお城を抜け出したが、12時の鐘が鳴ってしまい馬車がカボチャに、きれいな夜会服がボロ着に戻ってしまった。夢のような舞踏会を12時前に抜け出すなど、有り得ないことだ。

 ラテンバンドとオーケストラのクラシックが30分ごとに交代で演奏される。さすがここはオペラ座、クラシックは勿論だが、どのジャンルの音楽も最高にステキでしびれた。男性シンガーが歌う「キサッス・キサッス・キサッス」のとろけそうな甘く切ない歌声に、息を呑み、息が詰まり、気を失いそうになった。艶のあるバイオリンの音色で『ラ・クンパルシータ』が演奏された時は、血が騒いで「私、乱れます」と言いそうだった。尊敬してやまない、兼高かおるさんのテレビ番組「世界の旅」のテーマ音楽「アラウンド・ザ・ワールド」が流れた時私はもう泣くしかなかった。

 脚はとっくにパンパンなのに、痛さも忘れもう少し、もう少しと、ついに明け方5時のラストダンスまで踊ってしまった。少しずつライトが落ちると、男性たちは、贅沢に飾られているみごとな薔薇を持って来て、自分のパートナーだけでなく、近くにいる女性たちに渡してくれた。カフェコーナーでは朝食が用意されていた。

舞踏会オーパンバル

 興奮冷め遣らぬ私は、マイフェアレディーのテーマ曲「踊り明かそう」を口ずさみながら、ステップで帰った。

夜明けまでも、踊りながら、明かしたいの
あなたの手に抱かれながら、夢を見たい
私の心は軽く、高く空を飛ぶ
歌いながら、踊りたいの、夜の明けるまで

「来年も来よう!」と、武者震いをした。

社交ダンス【ダンスビュウ】月刊ダンスビュウ2008年5月号より

©小椋郁乃